
アリュアンデス
ダレイオスのもとでエジプトを治めたペルシア人サトラップで、紀元前518年以降に処刑された
アリュアンデスはエジプトのペルシア人総督で、ヘロドトスによればカンビュセスに任命され、ダレイオスのもとでも在任していた。ヘロドトスは、彼がリビアのバルカに差し向けた軍勢と、ダレイオスが彼を殺させる原因となった銀貨について語っている。この物語は、サトラップの地位が王の信頼にいかに左右されたかを示している。
ゲームでは: アリュアンデスには固有のメカニクスはない。ゲーム内で彼の名が挙がるのは、バルカ攻囲戦とダリク金貨の鋳造に関する出来事記事のみで、そこで彼の処刑が語られる。

エジプトのサトラップ
古代の記述ヘロドトスによれば、カンビュセスはアリュアンデスをエジプトの総督に任じ、彼はダレイオスの治世にもその職にあった。ヘロドトスは彼のそれ以前の経歴については何も語っていない。その統治のようすは、主としてヘロドトスが語ることを選んだ挿話を通じて知られているにすぎない。
Herodotus 4.166

バルカに向けた軍勢
古代の記述ヘロドトスによれば、アリュアンデスはキュレネのアルケシラオス3世が殺された報復として、バルカに軍勢と艦隊を差し向けた。アルケシラオスの母ペレティメが彼に助力を求めたのである。陸軍はマラフィス族のアマシスが、艦隊はパサルガダエ族のバドレスが率いた。バルカは長い包囲の末に陥落し、ヘロドトスはその住民の多くがバクトリアに移住させられたと述べている。
Herodotus 4.167

攻城の策略
後世の伝説ヘロドトスによれば、ペルシア人はバルカの城壁の下に坑道を掘ったが、青銅の盾を持つ鍛冶師がその掘削を探り当て、バルカ人は対抗策を講じたという。そこでペルシア人は、守るつもりのない誓約の休戦によってこの都市を奪った。この話は破られた誓いをめぐる教訓譚の形をとっており、ペルシア側のいかなる記録とも照合することはできない。
Herodotus 4.200

銀の貨幣と死
古代の記述ヘロドトスによれば、アリュアンデスは、ダレイオスの金貨に対抗して、きわめて純度の高い銀を鋳造した。ヘロドトスはダレイオスの金貨を何よりも純粋なものと呼んでいる。彼によれば、ダレイオスはその後、反逆の罪を着せてアリュアンデスを処刑させた。ヘロドトスは、ダレイオスが怒った理由としてこの貨幣鋳造を挙げている。
Herodotus 4.166

歴史家が疑う点
係争中現代の歴史家は、貨幣だけが彼の死の原因になりえたのかを疑問視し、告発には別の理由があったのではないかと考えている。処刑の時期は定かではなく、現存する貨幣のうちどれが、もしあるとすれば、彼のものだったのかも分かっていない。
P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
出典
- Herodotus 4.166
- Herodotus 4.167
- Herodotus 4.200
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002