
ウグバル
キュロスのためにバビロンを奪ったグティウムの総督(紀元前539年)
ウグバルはナボニドゥス年代記に、グティウムの総督として登場する。その軍勢は紀元前539年10月、戦うことなくバビロンに入城した。年代記には、その数週間後に彼が死んだと記されているようだ。ギリシアの著述家は彼の名を一度も挙げておらず、クセノフォンのゴブリュアスと同一人物かもしれないため、その正体については議論が続いている。
ゲームでは: 本作でウグバルの名が登場するのは、バビロン陥落などの出来事記事のみで、固有の仕様は与えられていない。本作は彼を、キュロスのためにバビロンへ入城したグティウムの総督として描いている。

年代記の記述
同時代の記録ナボニドゥス年代記によれば、グティウムの総督ウグバルとキュロスの軍は、タシュリトゥ月16日に戦うことなくバビロンに入った。ナボニドゥスは市に戻ったところを捕らえられた。キュロス自身はアラフサムヌ月3日に入城し、文書は彼が市に平和を宣言したと伝えている。
Nabonidus Chronicle (ABC 7), column iii

彼の死
同時代の記録年代記のアラフサムヌ月11日の記事には、ある総督が死んだと記されており、多くの学者はその主語をウグバルと読んでいる。この箇所は粘土板が損傷しているため、この読みは解釈に基づいている。本文は彼がどのように死んだかを述べていない。
Nabonidus Chronicle (ABC 7), column iii

グティウムの総督は誰か
係争中グティウムとは、ティグリス川の東にある山地を指す古い名称である。ウグバルについては、寝返ったバビロニアの官吏だったのか、キュロスに任じられた将軍だったのか、歴史家の意見が分かれている。年代記はこの問いに決着をつけていない。
A. Kuhrt, The Persian Empire, 2007

ウグバルとゴブリュアス
係争中多くの研究者は、ウグバルをクセノフォンの『キュロスの教育』に登場するゴブリュアスと同一視している。ゴブリュアスはペルシア語名ガウバルヴァのギリシア語形だからである。クセノフォンは彼を、自らの王に背いてキュロスを助けたアッシリアの貴族として描く。一方、両者は別人であり、クセノフォンの書は単なる歴史ではなく道徳的教訓の書だとする見方もある。
Xenophon, Cyropaedia

陥落をめぐるギリシア側の記述
古代の記述ヘロドトスは、ユーフラテス川の流れを変え、川床に沿って軍勢を進ませたことでバビロンが攻略されたと述べているが、ウグバルの名は一度も挙げていない。クセノフォンも、流れの転換と夜襲という似た話を伝えている。年代記はそのどちらにも触れておらず、都は戦いなしで占領されたと記している。
Herodotus 1.191
出典
- Nabonidus Chronicle (ABC 7)
- Herodotus 1.191
- Xenophon, Cyropaedia
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- A. Kuhrt, The Persian Empire, 2007