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門の牡牛像

門の牡牛像

王宮の門の両脇に立つ巨大な石の牡牛像、パサルガダエとペルセポリス、紀元前540~450年頃

ペルシア王家の門楼の入口には、一対の巨大な石の牡牛像が据えられていた。最初はパサルガダエのキュロスの門に、のちにはペルセポリスのクセルクセスの「万国の門」に置かれた。ペルシア人はこの着想を、アッシリア宮殿の人面有翼牡牛像から得た。牡牛像はおそらく、外の世界と王自身の領域との境を示す役割を担っていたのだろう。

ゲームでは: 本作では門の牡牛像を門の彫刻として住宅の建物に分類している。史実では、こうした巨像が置かれたのは王の門楼や宮殿だけであり、一般の住居や街路に立つことはなかった。

門の牡牛像: アッシリアの先駆者

アッシリアの先駆者

同時代の記録

紀元前9世紀から7世紀のアッシリア王たちは、ニムルド、コルサバード、ニネヴェの宮殿の門や玉座の間の扉口に、人頭有翼の牡牛像を据えた。その多くは巨大な一枚岩から彫り出されたものである。アッシリアの像はたいてい5本の脚をもち、正面からも側面からも欠けのない姿に見えるよう工夫されていた。19世紀には、発掘者たちがその多くを掘り出している。

J. E. Reade, Assyrian Sculpture, 1983

門の牡牛像: パサルガダエのキュロスの門楼

パサルガダエのキュロスの門楼

同時代の記録

発掘者に門Rとして知られるパサルガダエの門楼は、キュロスの治世に建てられた列柱の広間であった。発掘により、主要な出入口の両脇に巨大な牡牛像が置かれていたことが判明したが、残っているのはその下部のみである。脇の出入口には、エジプト風の冠を戴いた四枚翼の人物の浮彫が残されていた。この人物像はアッシリア、エラム、エジプトの要素を混ぜ合わせており、キュロスの建築家たちに典型的な手法を示している。

D. Stronach, Pasargadae, 1978

門の牡牛像: クセルクセスの万国の門

クセルクセスの万国の門

同時代の記録

ペルセポリスの基壇へ上る大階段の頂に、クセルクセスは4本柱の門楼を築いた。階段に面する西の戸口は、翼も人頭もない牡牛像が守り、東の戸口は角のある冠をいただく人頭有翼の牡牛像が守る。その上に刻まれた3言語の銘文(XPa)は、クセルクセスがアフラマズダの恩寵によってこの「万国の門」を建てたと述べる。アルタクセルクセス1世の治世に完成した百柱の間の玄関廊も、巨大な牡牛像が両脇を固めていた。

E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953; XPa

門の牡牛像: 牡牛像の意味

牡牛像の意味

係争中

アッシリアでは、こうした像は戸口から邪悪を遠ざける守護霊であった。ペルシア人がその信仰を共有していたのか、それとも主に古い帝国から借りた王権の象徴として牡牛像を用いたのかについては、歴史家の間で今も議論が続いている。ペルセポリスの牡牛像の脚は4本で、アッシリアの5本とは異なる。また、パサルガダエの像は頭部が失われているため、キュロスの牡牛像がすべて人頭であったかどうかも定かではない。

J. Curtis and N. Tallis (eds), Forgotten Empire, 2005

出典

  • D. Stronach, Pasargadae, 1978
  • E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953
  • XPa
  • J. E. Reade, Assyrian Sculpture, 1983
  • J. Curtis and N. Tallis (eds), Forgotten Empire, 2005
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002