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水利権

水利権

ペルシア帝国全域における灌漑用水の王による付与と賦課(紀元前550年頃~紀元前330年)

ペルシアの王たちが治めた乾いた土地では、水が作物の育つ場所を決めた。数世紀後に著述したギリシアの歴史家ポリュビオスによれば、王たちは水のない土地に水を引いた者に、5世代にわたってその利用を認めたという。バビロニアやエジプトから出たアケメネス朝後期の文書には、水が貸し出され、分け合われ、対価が支払われる様子が見られる。これらを合わせると、水の管理は王の統治が一般の農民に及ぶ重要な手段であったことがうかがえる。

ゲームでは: 台帳の「税」ページで出せる常設の王命で、収穫を増やし納付を軽くします。ゲームが引くポリュビオス10.28は正確ですが、この命令は土地利用の許可を減税に単純化しています。王たちは水の使用料も取り立てていました。

水利権: 5世代にわたる付与

5世代にわたる付与

紀元前2世紀に著述したポリュビオスは、紀元前209年頃にアンティオコス3世がヒュルカニアへ進軍する途上で横断した乾燥地帯の地下水路について記している。彼によれば、ペルシア人がアジアを支配していた頃、それまで灌漑されていなかった土地に泉の水を引いた者には、5世代にわたってその水の使用権が与えられたという。そのため人々は労苦も費用も惜しまず、長い地下水路を掘ったと彼は付け加えている。

Polybius 10.28

水利権: 王が水門を開く

王が水門を開く

ヘロドトスは、丘陵に囲まれアケス川に潤される平野の話を伝えている。王が峡谷を門で塞いだため、川は湖となった。下流の諸民族はペルシアの王のもとへ赴いて水を乞わねばならず、王は貢納とは別の多額の支払いと引き換えにのみ門を開かせたという。多くの歴史家は細部を疑っているが、この話は水を王の収入源とみるギリシア人の見方を示している。

Herodotus 3.117

水利権: バビロニアにおける水の賃借

バビロニアにおける水の賃借

同時代の記録

ニップル出土のムラシュ文書は、紀元前440年頃から紀元前415年頃、つまり本作の時代よりかなり後のもので、王から土地を授与された者たちの所領を管理した一族の商会を記録している。その粘土板には、王の役人が管理する運河から引いた水に料金が支払われたこと、そして灌漑がこうした管理人を通じて組織されていたことが示されている。ここで水は貸し出され対価を払うべき資源であり、手の届く者が自由に使えるものではなかった。

M. Stolper, Entrepreneurs and Empire, 1985

水利権: エジプトのオアシスにおける水の日数

エジプトのオアシスにおける水の日数

同時代の記録

ハルガ・オアシスのアイン・マナウィールでは、紀元前5世紀から4世紀初めの民衆文字のオストラコンが、地下水路の持ち分の売買と賃貸を記録している。その一部はエジプトが紀元前404年にペルシアの支配を離れた後に書かれた。権利は流水の日数で数えられ、村人の間で書面の契約によって移転された。これらの文書は、この時代の水利権の仕組みを示す最も明確な証拠のひとつである。

M. Chauveau, in P. Briant (ed.), Irrigations et drainages dans l'Antiquité, 2001

水利権: 地下水路を広めたのは誰か

地下水路を広めたのは誰か

係争中

ポリュビオスの言う水路は、一般に地下水を地表へ導くトンネル、カナートと同一視される。ペルシア人がこれを広めたとする歴史家もいれば、地域によってはより古いか、普及したのはもっと後だと論じる者もいる。またポリュビオスはアケメネス朝よりはるか後の人物であるため、彼の伝える権利付与がどこまで王の一般的な政策を反映しているかも議論されている。

P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

出典

  • Polybius 10.28
  • Herodotus 3.117
  • M. Stolper, Entrepreneurs and Empire, 1985
  • P. Briant (ed.), Irrigations et drainages dans l'Antiquité: qanâts et canalisations souterraines en Iran, en Égypte et en Grèce, 2001
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002