
慈悲の山
クーヘ・ラフマト、ペルセポリスの基壇の背後の山。前紀元前518年ごろから
慈悲の山、ペルシア語でクーヘ・ラフマトは、マルヴダシュト平原にあるペルセポリスの基壇の背後にそびえる尾根である。前紀元前518年ごろダレイオスは宮殿の基壇をその麓に築き、後の王たちはその山肌に墓を彫った。この名は近代のもので、古代の名は知られていない。
ゲームでは: パールサのレベルは慈悲の山の下に築かれる。王の基壇はこの山を背にして据えられ、その石切り場は山の岩に接していなければならない。

山に寄せた基壇
同時代の記録ペルセポリスの基壇は、一部は山の下の斜面を削って、一部は組み合わせた石材を積んで造られ、約紀元前450年メートル×300メートルの台地となった。南壁のダレイオスの碑文は彼をその建設者と記す。背後の斜面には防壁が登っていた。
DPf; E. F. Schmidt, Persepolis 1, 1953

王墓
同時代の記録基壇の上の山にある二つの岩窟墓は、ナクシェ・ロスタムのものに似た正面をもち、ふつう前4世紀のアルタクセルクセス2世と3世のものとされる。ダレイオスと次の王たちは数キロ北のナクシェ・ロスタムに葬られた。
E. F. Schmidt, Persepolis 3, 1970

工事の石
同時代の記録山と近くの丘の石切り場が、基壇とその宮殿の灰色の石灰岩を供給した。未完成の石材や工具痕の残る切り場が残り、城砦文書は王の倉から食糧を受けた作業班を記録している。
Persepolis Fortification tablets; Persepolis excavations

近代の名
係争中クーヘ・ラフマトは「慈悲の山」を意味し、今日使われている名である。山の名を記す古代の文献はなく、アレクサンドロス以後にペルセポリスを描いたギリシアの著述家も、宮殿の背後の丘にある王墓に触れるだけである。
Diodorus 17.71
出典
- E. F. Schmidt, Persepolis 1-3, 1953-1970
- DPf (Kent, Old Persian)
- Diodorus 17.71