
オピス
バビロンの北、ティグリス川沿いの町。紀元前539年の戦いの舞台
オピスはバビロニアのティグリス川沿いにあった町で、のちのセレウキアの地域にあたる。ナボニドゥス年代記によれば、紀元前539年のタシュリトゥ月に、キュロスの軍はこの地でバビロニア軍と戦い、その直後にバビロンへ入城した。この戦いは、キュロスによるバビロニア征服の最終段階の幕開けとなった。
ゲームでは: 本作にはオピスを舞台とするレベルも専用の仕組みもありません。オピスの名が登場するのは、バビロン陥落を含む百科事典の出来事の項目だけで、キュロスがナボニドゥスの軍を破った地として記されています。

ナボニドゥス年代記に記された戦い
同時代の記録粘土板に記されたバビロニアの文書『ナボニドゥス年代記』によれば、キュロスはタシュリトゥの月にティグリス川沿いのオピスでアッカドの軍と戦った。アッカドの人々は退却し、キュロスの軍は住民を殺害したという。この年代記は同時代に近い文書だが、キュロスに好意的であり、この戦いに関する主要な史料となっている。
Nabonidus Chronicle (ABC 7), col. iii

戦いの後のシッパルとバビロン
同時代の記録年代記によれば、シッパルは数日後に戦わずして奪われ、ナボニドゥスは逃亡した。その後、グティウムの総督ウグバルとキュロスの軍は、戦うことなくバビロンに入った。キュロス自身は、約2週間後に市内へ入った。この文書には、バビロンでの戦闘は記されていない。
Nabonidus Chronicle (ABC 7), col. iii

バビロニア軍を率いた者
係争中現存する年代記の本文には、ナボニドゥスがオピスで軍を率いたとは書かれておらず、ゲーム内の注記が彼の指揮を述べているのは、史料の記述を超えている。年代記が再び彼の名を挙げるのは、シッパルから逃れた場面だけである。ほかのバビロニアの文書には、息子のベルシャザルが軍事に携わっていたことが示されており、戦場を指揮したのは彼か、あるいはほかの指揮官たちだったとみる歴史家もいる。
Nabonidus Chronicle (ABC 7), col. iii

ヘロドトスが語るティグリス川の遠征
古代の記述ヘロドトスは、キュロスのバビロン進軍と、市の手前の野戦でバビロニア人が市内に閉じ込められたことを語っている。また、キュロスがギュンデス川を多数の水路に分けたことも語っている。彼はオピスの名を挙げておらず、ユーフラテス川の流れを変えてバビロンを攻略したという彼の話は、戦いなしとする年代記の記述とは食い違っている。
Herodotus 1.189-191

後代の町
古代の記述オピスは知られた町であり続けた。クセノフォンは、一万人の遠征の行軍でこの町をティグリス川沿いに置いており、アッリアノスは、324年にアレクサンドロスがここで集会を開き、兵の反乱に直面したと記している。これらの後代の記述はこの地の存在を示すが、紀元前539年については何も語らない。
Xenophon, Anabasis; Arrian, Anabasis 7.8
出典
- Nabonidus Chronicle (ABC 7)
- Herodotus 1.189-191
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- Xenophon, Anabasis
- Arrian, Anabasis 7.8