
徴集槍兵
アケメネス朝の王の軍のため、義務として徴集された歩兵(紀元前550-479年頃)
ペルシア王は、近衛兵や常備の守備隊のほかに、歩兵の多くをペルシア人、メディア人、そして属領の民からの徴集によって集めた。少なくともバビロニアでは、そうした者の多くが兵役を条件に土地を保有していたため、軍務の義務を負っていた。徴集兵はダレイオスとクセルクセスの大軍を満たし、ギリシアの著述家たちは、重い甲冑をまとった重装歩兵を相手に彼らがどう戦ったかで彼らを評価した。
ゲームでは: ゲーム中では、槍と編み枝の盾を持つ町人。数がそろえば戦列を保つが、訓練された兵には崩される。歴史上、徴集兵の多くは奉仕と引き換えに与えられた土地から出ており、ペルシアの歩兵はしばしば弓も携えていた。

カーラ:民と軍
同時代の記録古代ペルシア語でカーラという語は民と軍の両方を意味した。これは戦う男たちが民全体から集められていたことを示している。ベヒストゥン碑文の中でダレイオスは、紀元前522-521年の反徒に対し、自らに従ったペルシアとメディアの軍勢とともに将軍たちを送り出した次第を語っている。碑文は戦いと日付を記録しているが、彼らがどのように武装していたかについてはほとんど語らない。
DB

奉仕と引き換えの土地
同時代の記録バビロニア文書には、軍役を伴う土地の授与が見られる。「弓の土地」「馬の土地」「戦車の土地」であり、その保有者は兵士1人を出すか、銀を納める義務を負った。最も豊富な証拠であるニップルのムラシュ文書は、本作の時代より後の紀元前5世紀後半のものである。それ以前の断片的な文書からは、弓の土地が初期の王たちの時代にすでに存在したことがうかがわれ、この制度は王が大勢の兵を召集できた理由を説明する手がかりとなる。
M. Stolper, Entrepreneurs and Empire, 1985

ヘロドトスが語るペルシア歩兵
古代の記述ヘロドトスによれば、クセルクセスのペルシア歩兵は柔らかなフェルトの帽子をかぶり、袖付きの胴着と鱗鎧を身に着けていた。さらに編み枝の盾、短い槍、葦の矢を用いる大弓を携え、右腿に短剣を帯びていたという。続いて彼は数十におよぶ属民の部隊を列挙し、それぞれが故国の装備で武装していたと記す。歩兵170万という彼の総数は、歴史家の間では大きな誇張とみなされている。
Herodotus 7.60-61

プラタイアの編み枝の壁
古代の記述ヘロドトスによれば、紀元前479年のプラタイアの戦いで、ペルシア兵は編み枝の盾を並べて防壁とし、その陰から矢を放った。スパルタ軍がこれを突破すると、ペルシア兵は敵の槍をつかみ取りながら白兵戦を挑んだ。ヘロドトスは、彼らは勇気でも力でも劣ってはいなかったが、鎧と接近戦の技量を欠き、少人数ずつばらばらに飛び出していったと述べている。
Herodotus 9.61-63

盾持ちと弓兵
係争中現代の著述家は、盾を意味するペルシア語の再構成形から、最前列の盾兵をしばしば「スパラバラ」と呼ぶが、この語が部隊名として史料に現れることはない。盾持ちが弓兵を守る独立した列をなしていたのか、それとも全員が弓と槍の両方を携えていたのかについて、歴史家の見解は分かれている。徴集兵がどの程度の訓練を受けていたのか、そしてギリシアの著述家がそれをどこまで過小に描いたのかも議論の的である。
N. Sekunda, The Persian Army 560-330 BC, 1992
出典
- Herodotus 7.60-61
- Herodotus 9.61-63
- DB
- M. Stolper, Entrepreneurs and Empire, 1985
- N. Sekunda, The Persian Army 560-330 BC, 1992
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002