
祭壇と神像
紀元前480年に略奪されたアテナイのアクロポリスの奉納物と小祠
紀元前480年以前、アテナイのアクロポリスには祭壇や小さな祠、そして数百もの奉納品がひしめいていた。大理石の乙女像、騎馬像、青銅像、そして家族や役人が建てた銘入りの台座である。クセルクセスの軍がこの岩山を占領すると、聖域は略奪され焼き払われた。のちにアテナイ人が埋めた破損した彫像群は、現在ではアルカイック期ギリシア彫刻の現存作品の中でも屈指のものとなっている。
ゲームでは: 祭壇と神像は、プレイヤーが建設するのではなく、レベルのマップ上に史跡として配置されている。本作の説明は、ペルシア人による岩山の略奪と焼き討ちを記したヘロドトス8.53に基づく。

奉納品のひしめく岩山
同時代の記録発掘によれば、紀元前6世紀から5世紀初頭にかけて、アテナイ人は神殿のあいだの空き地をアテナへの奉納品で埋め尽くした。その多くは大理石のコレー像や騎馬像で、ほかに青銅の像や器もあった。銘を刻んだ台座が数百も残っており、そこには利益の十分の一や初穂を女神に捧げた陶工、役人、富裕な一族の名が記されている。
A. E. Raubitschek, Dedications from the Athenian Akropolis, 1949; J. Hurwit, The Athenian Acropolis, 1999

480年の略奪
古代の記述ヘロドトスによれば、ペルシア兵はアグラウロスの祠の近く、守りのない険しい崖をよじ登った。守備兵の中には城壁から身を投げて死ぬ者もおり、ペルシア兵は神殿に逃げ込んだ者たちを殺したうえで聖域を略奪し、アクロポリス全体に火を放った。次いでクセルクセスは、随行していたアテナイの亡命者たちに、彼ら自身の流儀でそこで犠牲を捧げるよう命じた。
Herodotus 8.52-54; Herodotus 5.102

埋められた彫像
同時代の記録戦後、アテナイ人は瓦礫を片付け、壊れた彫像や焼けた建築部材を新たな基壇の盛り土に埋めた。1885年から1890年にかけて発掘者たちがこれらの埋蔵物を掘り出し、彩色がまだ残るコレー像を発見した。焼けた円柱の鼓胴やエンタブラチュアの破片はアクロポリスの北壁にも組み込まれ、今もその姿を見ることができる。
J. Hurwit, The Athenian Acropolis, 1999

どこまでがペルシア人の手によるものか
係争中考古学者はこの堆積層を「ペルシアの瓦礫層」と呼ぶが、すべてが一度に埋められたわけではなく、一部の埋土は数十年後の建設工事に由来する可能性もある。アテナイは紀元前479年にも再び占領されており、ヘロドトスによれば、その際マルドニオスはなお立っていたものをことごとく焼き払ったという。クリティオスの少年像など一部の彫像が紀元前480年以前に作られたのか以後なのか、歴史家の間ではいまも議論が続いている。
Herodotus 9.13; J. Hurwit, The Athenian Acropolis, 1999

再建せぬとの誓い
係争中紀元前4世紀のアテナイ人は、ギリシア人がプラタイアの戦いの前に、焼かれた聖域を記念として廃墟のまま残すと誓ったと主張した。弁論家リュクルゴスがこの誓いを引用し、歴史家ディオドロスもそれを繰り返している。しかしテオポンポスはこの誓いをアテナイ人の捏造と断じており、アカルナイで見つかった紀元前4世紀の碑文写本には神殿に関する条項が欠けている。学者の見解は分かれたままだが、アクロポリスに新たな神殿が建つまでに長い空白があったことは、この話と符合する。
Lycurgus, Against Leocrates 81; Diodorus 11.29; Theopompus, FGrHist 115 F 153
出典
- Herodotus 5.102; 8.52-54; 9.13
- J. Hurwit, The Athenian Acropolis, 1999
- A. E. Raubitschek, Dedications from the Athenian Akropolis, 1949
- Lycurgus, Against Leocrates 81
- Diodorus 11.29
- Theopompus, FGrHist 115 F 153