
王の目の館
「王の目」、ギリシアの著述家が伝える王の監察官、紀元前6~5世紀
ギリシアの著述家によれば、ペルシア王には「王の目」と呼ばれる役人がおり、王に代わって監視し報告していたという。この人物像は、広大な帝国の隅々にまで及ぶ王権をギリシア人がどう思い描いていたかを示している。当時のペルシア側の文書にこの称号は見えず、それが単一の官職だったのか、王の数多くの情報提供者をギリシア人流に言い表したものなのか、歴史家の間では今も議論が続いている。
ゲームでは: ゲームでは王の目の館は、人員が配置されている間、盗みと暴動を半減させます。このような建物は知られておらず、史料によれば「王の目」が王のために見張ったのは役人や臣民であって街の犯罪ではないため、これは脚色です。

王様ごっこの少年
古代の記述ヘロドトスによれば、牛飼いの子として育てられた少年キュロスは、村の子らとの遊びの中で王に選ばれた。彼は子らに役目を割り振った。家を建てる者、護衛、伝令役、そして一人の少年を「王の目」に任じたのである。ヘロドトスはこれを王者の資質の表れとして描いている。それゆえこの話が教えるのは、キュロスの時代にその官職が実在したことではなく、ペルシアの宮廷に何があるとヘロドトスが考えていたかである。
Herodotus 1.114

ギリシアの著述家に見る「目と耳」
古代の記述紀元前472年に書いたアイスキュロスは、ペルシア人の合唱隊に、「目」と呼ばれる王の腹心についてクセルクセスに問わせており、アテナイ人がすでにこの呼び名を知っていたことがうかがえる。ヘロドトスは、メディア王デイオケスが国中に見張りと聞き役を置いていたと述べる。後にクセノフォンは、王には多くの目と耳があるという言葉を説明している。王は有益な報せをもたらす者に褒美を与えたので、臣民はどこにいても王を悪く言うことを恐れたのだという。
Aeschylus, Persians; Herodotus 1.100; Xenophon, Cyropaedia 8.2.10-12

アテナイ喜劇に登場する使節
古代の記述アリストファネスは紀元前425年に上演された喜劇に、「王の目」たるペルシアの使節プセウダルタバスを登場させ、巨大な目がひとつ付いた衣装を着せた。この冗談は、アテナイの観客がその称号を知っていてこそ成り立つ。この概念がギリシアでよく知られていたことはうかがえるが、喜劇はこの官職が実際にどう機能していたかを知る証拠としては心もとない。
Aristophanes, Acharnians

官職か、言葉の綾か
係争中「王の目」という称号を用いた王碑文やペルセポリスの粘土板は存在しない。エレファンティネ出土のアラム語の請願書には、「聞く者」を意味するガウシャカと呼ばれる地方の役人の名が見え、これを「王の耳」と結びつける学者もいる。サトラップについて報告する監察官が実在したと考える歴史家もいる。一方、スティーヴン・ハーシュらは、王による広範な監視を、ギリシア人がひとつの官職として語り直したのだと考えている。いずれにせよ、ペルシアの記録からは、役人や封印された通行証、使者によって宮廷に情報が届けられていたことがうかがえる。
S. W. Hirsch, The Friendship of the Barbarians, 1985; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
出典
- Herodotus 1.114; 1.100
- Xenophon, Cyropaedia 8.2.10-12
- Aeschylus, Persians
- Aristophanes, Acharnians
- S. W. Hirsch, The Friendship of the Barbarians, 1985
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002