
石灰岩採石場
アケメネス朝の宮殿と墓に石材を供給した石切り場、紀元前550年頃~480年頃
パサルガダエ、ペルセポリス、スーサにおけるペルシアの大規模な建設事業には膨大な量の切石が必要であり、その多くは周辺地域の丘陵から切り出された石灰岩であった。採石には帝国各地から集められた熟練の石工が携わった。工具の跡、未完成の石材、放棄された採石面といった痕跡は、王の建設者たちの仕事ぶりを今に伝えている。
ゲームでは: ゲーム中の採石場は石灰岩の石材を切り出し、岩がちな丘陵に接している必要がある。これは丘の露頭から石を切り出した実際のアケメネス朝の慣行に合致する。ただし史実を簡略化しており、実際の採石場は建設現場から何キロメートルも離れていることがあった。

ペルシア最初の都のための石
同時代の記録キュロスのもとで着工されたパサルガダエの建物は、丁寧に仕上げた石灰岩で築かれた。一部の宮殿では、淡い色の石と暗い色の石を並べて対比をなしている。調査者たちは、淡色の石灰岩の多くを遺跡の南西、シヴァンド近郊の採石場までたどった。石材には今も爪鑿の跡や、かつて石同士を結んでいた金属のかすがいの穴が残っている。
D. Stronach, Pasargadae, 1978

パサルガダエの石を切ったのは誰か
係争中パサルガダエで用いられた技法は、歯付き鑿、入念に合わせた継ぎ目、燕尾形の鎹など、アナトリア西部のイオニアやリュディアの石工技術と一致する。キュロスは紀元前540年代にこれらの地を征服しており、多くの歴史家はそこから来た石工がパサルガダエで働いたと結論づけている。何人が来たのか、強制されたのか報酬を受けたのか、そして現地の技術がどれほど関わったのかは、今なお議論されている。
C. Nylander, Ionians in Pasargadae, 1970

スーサにおけるダレイオスの勅許状
同時代の記録ダレイオスはスーサの宮殿の勅許状に、資材がどこから来たのかを列挙した。石の柱はエラムのアビラドゥシュという村から運ばれ、その石を加工した石工はイオニア人とサルディス人であったという。この碑文からは、石材が州の内部で運ばれる一方、職人は帝国を横断して移動していた様子がうかがえる。
DSf

ペルセポリスの採石場
同時代の記録ペルセポリスの基壇は山裾に寄せて築かれ、周囲の丘から切り出された灰色の石灰岩で表面が覆われている。その丘には今も採石場の切羽や未完成の石材が残っている。ペルセポリス城砦文書には、職人を含む大勢の労働者集団に支払われた配給が記録されている。そこから、こうした事業を支えた国家による労働組織の規模がうかがえる。
E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

出典
- DSf
- D. Stronach, Pasargadae, 1978
- C. Nylander, Ionians in Pasargadae, 1970
- E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953
- G. Posener, La première domination perse en Égypte, 1936
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002