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サモスのシュロソン

サモスのシュロソン

亡命の身からペルシアの後ろ盾を得てサモスの僭主となった人物。紀元前520年頃から517年頃まで在位

ゲームでは: レベル2:槍持ち

シュロソンはサモスの僭主ポリュクラテスの兄弟である。ヘロドトスによれば、彼はエジプトで若き日のダレイオスに赤い外套を贈り、後にダレイオスはペルシア軍を付けて彼をサモスの支配者に据えたという。この話は、ペルシア宮廷で恩義がどのように報われたかを伝えるギリシア側の記録である。

ゲームでは: 本作でシュロソンの名が登場するのは年代記の項目と百科事典のイベント記事で、専用のレベルはなく、メカニクスもない。メンフィスの市場の項目には、彼が赤い外套を若き日のダレイオスに贈ったことが記されている。

サモスのシュロソン: メンフィスの外套

メンフィスの外套

ヘロドトスによれば、シュロソンは兄弟ポリュクラテスにサモスを追われ、カンビュセスの軍とともにエジプトにいた。赤い外套をまとってメンフィスの市場を歩いていたところ、当時カンビュセスの親衛隊で無名の槍持ちにすぎなかったダレイオスがそれに目をとめ、買いたいと望んだ。シュロソンはその外套を贈り物として彼に与えた。

Herodotus 3.139

サモスのシュロソン: ダレイオスが贈り物に報いる

ダレイオスが贈り物に報いる

ヘロドトスによれば、ダレイオスが王となったのち、シュロソンはスーサを訪れ、自分こそ彼に外套を与えた男だと名乗り出た。ダレイオスは礼を述べ、金と銀を与えようとした。だがシュロソンは代わりにサモスを求め、血を流さず、住民を奴隷にすることなく手に入れたいと願った。

Herodotus 3.140

サモスのシュロソン: ペルシアによるサモス征服

ペルシアによるサモス征服

ヘロドトスの語るところでは、オタネスはペルシア軍を率いてサモスに赴き、多くのサモス人が命を落とした戦いの末に島を奪った。島はシュロソンに与えられたが、ヘロドトスはそこをほとんど無人になったと述べている。征服の年代は定かではなく、通常は紀元前520年から517年頃とされる。

Herodotus 3.141-149

サモスのシュロソン: この話の信頼性

この話の信頼性

係争中

外套の逸話を伝えるのはヘロドトスだけであり、その形は恩義をめぐる教訓譚に近い。この時期にサモスがペルシアの支配下に入り、ペルシアの後ろ盾を得た支配者を戴いていたことは、歴史家たちも認めている。一方で、外套の細部や市場の場面、当時のダレイオスの地位まで確かな事実とみなす者はほとんどいない。

P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

サモスのシュロソン: シュロソンにまつわる諺

シュロソンにまつわる諺

後世の伝説

ストラボンをはじめ後代の著述家たちは、シュロソンと広々とした場所にまつわるギリシアの諺を伝え、それをサモスが空になったことで説明した。この説明は彼の時代よりずっと後に記録されたもので、シュロソンが実際に何をしたかを示す証拠というより、民間伝承として扱うほうがよい。

Strabo, Geography 14.1

出典

  • Herodotus 3.139-149
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
  • Strabo, Geography 14.1
  • Herodotus 3.39