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ドリスコス

ドリスコス

トラキア沿岸のペルシアの砦。紀元前480年、クセルクセスがここで軍を閲兵した

ゲームでは: レベル9:運河

ドリスコスはトラキアのヘブロス川河口近くにあったペルシアの砦と沿岸の平野である。ダレイオスはスキタイ遠征の際にここへ守備隊を置いた。紀元前480年、クセルクセスはギリシアへ進軍する前に、この平野で陸軍と艦隊を閲兵し、陸上兵力を数えた。この地について知られていることのほぼすべてはヘロドトスによるが、彼の挙げる軍勢の数字はあまりにも過大である。

ゲームでは: 本作ではドリスコスを、クセルクセスが軍勢を数えた地としており、これはヘロドトスに従っている。数え方や途方もない総数はヘロドトスの語る話であって、ペルシア側の記録ではない。

ドリスコス: ヘブロス川沿いの王の砦

ヘブロス川沿いの王の砦

ドリスコスはトラキアの海岸とその広い平野で、ヘブロス川(現在のエヴロス川またはマリツァ川)の河口のそばにあった。ヘロドトスによれば、そこには王の砦があり、ダレイオスは紀元前513年頃のスキタイ遠征以来、そこにペルシア人の守備隊を置いていたという。のちにクセルクセスは、トラキア沿岸に設けたいくつもの補給所のひとつとして、ドリスコスに食料を貯えさせた。砦の正確な所在地は確実には特定されていない。

Herodotus 7.59; Herodotus 7.25

ドリスコス: 囲いによる兵数の数え上げ

囲いによる兵数の数え上げ

ヘロドトスによれば、紀元前480年、クセルクセスはドリスコスで行軍を止め、陸軍の数を数えさせた。士官たちは10,000人をできる限り密に詰めて立たせ、その周りに線を引き、それに沿って腰ほどの高さの壁を築いた。そして全軍が通り終えるまで、一団また一団とその囲いの中へ兵を入れていった。ヘロドトスはその結果を170の囲い、すなわち歩兵1,700,000としている。

Herodotus 7.60

ドリスコス: 軍勢の規模はいかほどか

軍勢の規模はいかほどか

係争中

ヘロドトスの数字を受け入れる歴史家は今日一人もいない。歩兵170万に加え、彼は騎兵8万と三段櫂船1,207隻の艦隊を挙げる。さらに後には、従軍者を含めれば500万人を超えたと見積もる。この地がそれほどの人数を養い、水を与えることはできなかったはずだ。戦闘部隊についての現代の推計はおおむね約10万から30万の間に収まり、さらに少なく見るものもある。

Herodotus 7.87; 7.89; 7.184-186; J. F. Lazenby, The Defence of Greece 490-479 BC, 1993

ドリスコス: 諸民族の一覧

諸民族の一覧

係争中

ドリスコスの場面でヘロドトスは、ペルシア人やメディア人からエチオピア人、トラキア人に至るまで、軍勢を部隊ごとに列挙し、各民族の装束、武器、指揮官を記している。歴史家の中には、彼がペルシアの文書、あるいは帝国の諸邦を列挙する王碑文のような一覧に依拠したと考える者もいる。一方で、ギリシア人の知識をもとに帝国全体の進軍を描き出すために、大部分を彼自身が構成したものとみなす者もいる。

Herodotus 7.61-99; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

ドリスコス: 陥ちなかった砦

陥ちなかった砦

ヘロドトスによれば、クセルクセスは戦車に乗って隊列の前を巡閲し、続いてシドンの船に乗って艦船の列に沿って航行した。彼はマスカメスというペルシア人をドリスコスの総督に任じた。のちにギリシア人がトラキアとヘレスポントスから他のペルシア人総督たちを追い払ったときも、マスカメスからドリスコスを奪える者はいなかったとヘロドトスは記す。クセルクセスは毎年彼に贈り物を送り、アルタクセルクセスもその子孫に贈り物を送り続けた。

Herodotus 7.100; Herodotus 7.105-106

出典

  • Herodotus, Histories 7.25, 7.59-106
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
  • J. F. Lazenby, The Defence of Greece 490-479 BC, 1993
  • A. Kuhrt, The Persian Empire: A Corpus of Sources from the Achaemenid Period, 2007