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山岳戦士長

山岳戦士長

ペルシスとその周縁に住む山岳民の指導者、紀元前6〜4世紀

スーサとペルシスの間、そしてメディアへと続く山地には、ウクシオイ人やコッサイオイ人といった牧畜民が暮らしていた。ギリシアの著述家たちは、彼らがペルシアの王たちに完全には服さなかったと描いている。アッリアノスとストラボンによれば、王たちは安全な通行の見返りに彼らへ支払いや贈り物を与えていたという。紀元前530年から479年の間にこれらの民の首長の名を伝える史料は現存せず、本作の戦士長は後代の記録をもとにした再構成である。

ゲームでは: レベルごとに異なる名を持つ軽装の敵ユニット。10マス以内の襲撃者の攻撃力が15%上昇する。この者を倒すと、その部隊は退却する。山岳の族長が大軍の一部隊を率いたことを示す史料はなく、この設定はゲーム独自のものである。

山岳戦士長: 山地の民

山地の民

ヘロドトスはペルシア人の諸部族を挙げ、定住した農耕民もいれば、マルドイ族をはじめとする遊牧民もいたと述べる。アレクサンドロスの遠征を記した後代の著述家たちは、ペルシス、エラム、メディアの辺縁に住むほかの山岳民、たとえばウクシオイ族やコッサイオイ族の名を挙げている。彼らはこれらの民を、低地とペルシアの中心地とを結ぶ峠を押さえた牧畜民として描いている。

Herodotus 1.125; Arrian, Anabasis 3.17 and 7.15

山岳戦士長: 山の族長たちへの支払い

山の族長たちへの支払い

アッリアノスによれば、山地のウクシオイ人は、スーサとペルシスを結ぶ峠の通過をアレクサンドロスに許す条件として、ペルシアの王たちから受け取ってきたものを支払うよう求めた。ストラボンはネアルコスに依拠して、これらの山地に住む4つの略奪民族の名を挙げ、コッサイオイ人が王たちから贈り物を受けていたと述べている。アレクサンドロスは支払いを拒み、紀元前331~330年の冬にウクシオイ人を攻撃し、のちには冬季にコッサイオイ人に対しても遠征した。

Arrian, Anabasis 3.17; Strabo, Geography 11.13.6; Arrian, Anabasis 7.15

山岳戦士長: 贈り物か、貢納か、取引か

贈り物か、貢納か、取引か

係争中

ギリシアやローマの著述家は、こうした支払いを王の弱さの表れとして描いている。これに対しピエール・ブリアンは、それが交渉による関係であり、王は山地の首長たちと贈り物を交わすことで道を開いておき、彼らを自らに結びつけていたと論じた。これらの記録はアレクサンドロスの時代に関するもので、はるか後代の著述家を通じて伝わっているにすぎず、これらの民がキュロスやダレイオスとどう関わったかは分かっていない。

P. Briant, État et pasteurs au Moyen-Orient ancien, 1982; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

山岳戦士長: 指揮官が倒れたとき

指揮官が倒れたとき

古代の軍は指揮官が倒れるとしばしば崩れた。ヘロドトスは、マルドニオスが討たれるやプラタイアのペルシア軍の抵抗が崩壊したと記し、クセノフォンはクナクサで小キュロスが死んだことで彼の企てが潰えた様を描いている。首長が死ぬと部隊が退却するというゲームのルールはこの一般的な傾向に倣ったもので、山岳民に関する特定の記録に基づくものではない。

Herodotus 9.63; Xenophon, Anabasis 1.8

出典

  • Arrian, Anabasis 3.17
  • Strabo, Geography 11.13.6
  • Herodotus 1.125
  • P. Briant, État et pasteurs au Moyen-Orient ancien, 1982
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
  • Arrian, Anabasis 7.15