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王の槍兵

王の槍兵

王軍および親衛隊のペルシア歩兵、紀元前530〜479年頃

ゲームでは: レベル1:建国者の墓

王の槍兵は、王の最も近くで行軍し、その宮殿の警護にあたったペルシアの歩兵である。ペルシアの浮彫や彩釉煉瓦には、丸い石突きのついた槍を携えて列をなす彼らの姿が描かれ、ヘロドトスは編み枝の盾を並べた壁の陰から戦うペルシア歩兵について記している。これらの史料を合わせると、アケメネス朝の王たちが頼みとした中核歩兵の姿が浮かび上がる。

ゲームでは: ゲームでは、王の槍兵は編み枝の盾を持つ訓練された盾部隊として描かれる。これは史料が区別している二つのもの、すなわちしばしば弓を携えた浮彫の宮殿衛兵と、ヘロドトスの伝える盾の壁を組む歩兵とを一つにまとめたものである。

王の槍兵: 石と彩釉煉瓦に表された衛兵

石と彩釉煉瓦に表された衛兵

同時代の記録

ペルセポリスのアパダナの階段には、ペルシアやメディアの装いをした衛兵が長い列をなし、石突きに球をつけた槍を真っ直ぐに立てて持つ姿が刻まれている。弓と矢筒をも携える者や、大きな盾を持つ者もいる。スーサでは、ダレイオスの宮殿の彩釉煉瓦パネルに、豊かな文様の衣をまとい、槍を持ち肩に弓を掛けた同様の槍兵たちが表されている。

E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953; P. O. Harper, J. Aruz and F. Tallon (eds), The Royal City of Susa, 1992

王の槍兵: 「槍持ち」の称号

「槍持ち」の称号

同時代の記録

王の槍を捧げ持つことは、高位の栄誉であった。ナクシェ・ロスタムのダレイオスの墓では、ある人物像の傍らの銘が、パテイスコレイス人ゴブリュアスを王の槍持ちと記している。槍が単なる兵士の武器にとどまらず、君主の身近に仕えることを象徴していたことがうかがえる。

DNc

王の槍兵: クセルクセスを囲む槍兵たち

クセルクセスを囲む槍兵たち

ヘロドトスは、紀元前480年にサルディスを発ったクセルクセス軍の隊列を描いている。王の戦車の近くには、最も優れた高貴なペルシア人から選ばれた1000人の槍兵が進み、その槍の石突きは黄金の林檎で飾られていた。その後ろには選り抜きの騎兵が続き、さらに1万人の歩兵が続いた。彼らの槍は石突きの代わりに柘榴の飾りを付け、外側の1000人は金、残りは銀であった。彼らがどのように訓練され、どのように給養されていたかについては何も語っていない。

Herodotus 7.40-41

王の槍兵: 編み枝の盾と盾の壁

編み枝の盾と盾の壁

ヘロドトスによれば、ペルシア歩兵は柔らかなフェルトの帽子、袖付きの上衣、小札鎧を身に着け、編み枝の盾、短い槍、大弓、短剣を携えていたという。紀元前479年のプラタイアでは、ペルシア人は盾を並べて障壁とし、その陰から矢を射たと彼は伝える。スパルタ軍がこれを突き破ると、ペルシア人は勇敢に戦ったが、重装の鎧を持たず、白兵戦の技量にも欠けていたという。

Herodotus 7.61; Herodotus 9.61-63

王の槍兵: 近衛、不死隊、そして戦列部隊

近衛、不死隊、そして戦列部隊

係争中

これらの集団の関係については、今なお歴史家の間で議論が続いている。浮彫の衛兵をヘロドトスの言う一万の不死隊と同一視する者もいれば、別個の王の親衛隊、あるいは単にペルシア軍の理想化された姿とみる者もいる。今日、盾を持つ歩兵を指してよく使われる「スパラバラ」という語は、古代ペルシア語の「盾」に基づく現代の造語であり、現存する文献には部隊名として確認されていない。

Herodotus 7.83; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

出典

  • Herodotus 7.40-41, 7.61, 7.83, 9.61-63
  • E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953
  • DNc
  • P. O. Harper, J. Aruz and F. Tallon (eds), The Royal City of Susa, 1992
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
  • J. Curtis and N. Tallis (eds), Forgotten Empire, 2005