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武器庫

武器庫

王の武器を作り、保管する工房と倉庫。ペルシア帝国、紀元前550〜479年頃

ゲームでは: レベル2:槍持ち

ペルシア軍は主に弓、短槍、編み枝の盾で戦い、これらは大量に製作し貯蔵しておく必要があった。発掘された武器の貯蔵庫、神殿の文書、ギリシア人の記述からは、武具が王の倉庫、神殿や職人の工房、そして自ら武装する兵士たちによって調達されていたことがわかる。

ゲームでは: 武器庫は木材から槍、盾、弓を作り、荷車がそれを兵舎へ運ぶ。これは史実を簡略化したものである。実際の武具には青銅、鉄、角、腱も必要であり、多くの兵士は自前の武具を携えてきた。

武器庫: ペルセポリス宝庫の武器

ペルセポリス宝庫の武器

同時代の記録

1930年代にペルセポリスを発掘した者たちは、宝蔵の建物から大量の武器を発見した。青銅製や鉄製の鏃、槍の穂先、その他の金具などである。これらの出土品は、王が貴重品と並んで武具の備蓄を居所に置いていたことを示している。ただし、これらは紀元前330年、アレクサンドロスの占領下で焼かれた時点の建物の状態を反映しており、大半はダレイオスやクセルクセスの時代よりかなり後のものである。

E. F. Schmidt, Persepolis II, 1957

武器庫: バビロニアの神殿から出た矢と弓

バビロニアの神殿から出た矢と弓

同時代の記録

ウルクのエアンナ神殿に伝わる楔形文字文書は、キュロスとカンビュセスの治世を含む紀元前6世紀のもので、神殿が職人を組織して弓と矢を作らせ、王の御用に送っていたことを示している。武具の生産はひとつの王立工房に限られず、帝国の既存の機関に広く分担されていたのである。神殿はこの仕事を、王に対する義務の一部として担っていた。

K. Kleber, Tempel und Palast, 2008

武器庫: ペルシア人が携えたもの

ペルシア人が携えたもの

ヘロドトスは紀元前480年のクセルクセス軍を列挙するなかで、ペルシア人は柔らかなフェルトの帽子をかぶり、袖付きの上衣に鉄の小札鎧をまとい、ズボンをはいていたと記す。また、編み枝の盾、短い槍、葦の矢を用いる大弓を携え、右腿に短剣を吊るしていたという。この記述によれば、装備の大半は木、葦、編み枝でできており、金属が使われたのは穂先、刃、鎧の小札に限られていた。

Herodotus 7.61

武器庫: 重装歩兵に対する軽装

重装歩兵に対する軽装

ヘロドトスによれば、紀元前479年のプラタイアの戦いで、ペルシア人は勇気と力ではギリシア人に劣らなかったが、重い甲冑と技量に欠けていたため、白兵戦で敗れた。また彼は、騎兵指揮官マシスティオスが紫の上衣の下に黄金の鱗鎧を着込んでおり、目を射抜かれるまでギリシア兵の打撃をはね返したとも記している。ギリシアの著述家たちは、自国の重装歩兵を称えるためにこの対比を強調したのかもしれない。

Herodotus 9.22; Herodotus 9.62-63

武器庫: 武器の費用を負担したのは誰か

武器の費用を負担したのは誰か

係争中

バビロニアの文書、とりわけ前5世紀後半のムラシュ文書には、「弓の地」「馬の地」「戦車の地」と呼ばれる区画が見え、その保有者は武装しての奉仕か、その費用を負った。この制度がダレイオスの時代にどこまで機能していたか、また軍が王の武器庫よりもこれにどれほど依存していたかについては、歴史家の間で議論がある。多くは両者が並存していたと考えている。

M. Stolper, Entrepreneurs and Empire, 1985

出典

  • Herodotus 7.61
  • Herodotus 9.22; 9.62-63
  • E. F. Schmidt, Persepolis II, 1957
  • K. Kleber, Tempel und Palast, 2008
  • M. Stolper, Entrepreneurs and Empire, 1985
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002