
メガバゾス
紀元前513年頃、ダレイオスのスキタイ遠征後のヨーロッパにおけるペルシア人将軍
メガバゾスは、ヘロドトスによれば、ダレイオスがイストロスからアジアへ引き揚げる際にヨーロッパへ残したペルシア人の指揮官である。ヘロドトスは、彼がペリントスとトラキアの大部分を平定し、マケドニアへ使者を送って土と水を求めたと伝えている。彼の働きは、ペルシアの勢力をエーゲ海北岸へ広げる助けとなった。
ゲームでは: メガバゾスの名は、ダレイオスのスキタイ遠征とイストロス橋での議論に関するイベント記事に登場する。このゲームには彼固有のユニット、建物、メカニクスはなく、この項目の歴史的記述はヘロドトスに拠っている。

ヨーロッパの指揮を任された
古代の記述ヘロドトスによれば、ダレイオスはアジアへ引き返してセストスに着き、ヨーロッパにある軍勢の指揮をメガバゾスに委ねた。さらに、ダレイオスはメガバゾスを高く買っていたと付け加えている。この任命について詳しく伝える史料は、ヘロドトスのみである。
Herodotus 4.143

トラキアとヘレスポントスでの征服
古代の記述ヘロドトスによれば、メガバゾスは抵抗したペリントス人を屈服させ、続いてトラキアを進軍して、その諸民族と諸都市をペルシアの支配下に置いた。ヘロドトスはまた、パイオニア人が彼の命令で故地から引き離され、アジアへ送られたとも述べている。どの集団が力で服従し、どの集団が合意によって服したのかは、この記述からは明らかでない。
Herodotus 5.1-5.2; 5.12-5.15

マケドニアへの要求
古代の記述ヘロドトスによれば、メガバゾスはマケドニアのアミュンタスのもとへ使者を送り、服従の印である土と水を求め、アミュンタスはそれを差し出した。こうしてマケドニアは、何らかの形で王に服属する立場に置かれた。
Herodotus 5.17-5.18

殺された使者たちの物語
後世の伝説ヘロドトスはさらに、ペルシアの使者たちがアレクサンドロス率いるマケドニアの若者たちによって宴席で殺され、この件がもみ消されたいきさつを語っている。この話はアレクサンドロスを称えるマケドニア側の伝承と読め、歴史家はその細部を疑っている。
Herodotus 5.18-5.21

メガバゾスとヒスティアイオス
古代の記述ヘロドトスによれば、メガバゾスはダレイオスに、ストリュモン川沿いのミュルキノスに城塞都市を築いていたミレトスのヒスティアイオスについて警告した。そこでダレイオスはヒスティアイオスをスーサへ召し出した。ヘロドトスはメガバゾスを先見の明ある助言者として描くが、この記述はギリシア側から語られたものである。
Herodotus 5.23-5.24

年代と地位
係争中スキタイ遠征は通常、紀元前513年頃とされるが、年代には議論があり、その後の征服はそれ以降のおおよその時期に置かれている。ペルシアの支配がどれほど堅固だったか、またトラキア沿岸が組織された属州になったのかどうかについては、歴史家の間で議論がある。後代のペルシア王碑文は、服属する地域の一つとしてスクドラの名を挙げており、これは通常トラキアと読まれている。メガバゾスはこれらの碑文には現れないため、その役割はヘロドトスに拠っている。
P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
出典
- Herodotus 4.143
- Herodotus 5.1-5.2
- Herodotus 5.12-5.24
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002