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セストス

セストス

ヘレスポントス沿岸の城塞都市。紀元前479〜478年にアテナイに包囲され、陥落した

ゲームでは: ミュカレ

セストスはヘレスポントスのヨーロッパ側の岸にあったギリシアの町で、海峡を挟んでアビュドスと向かい合っていた。ペルシアの支配下では、アジアとヨーロッパを結ぶ主要な渡河地点を守っていた。紀元前479年のミュカレでのギリシアの勝利の後、アテナイ艦隊がこの町を包囲して攻め落とした。この包囲戦は、ヘロドトスが『歴史』で語る最後の出来事である。

ゲームでは: ミュカレのエピローグにはセストスでの戦いとセストスの館が登場するが、実際の包囲はアテナイ人による数か月に及ぶ封鎖であった。史料はセストスの特定の館について何も伝えていない。

セストス: 二つの大陸を結ぶ渡し

二つの大陸を結ぶ渡し

ヘロドトスによれば、ダレイオスはスキタイ遠征からの帰途セストスを経由し、そこから船でアジアへ渡った。紀元前480年、クセルクセスの二本の舟橋はアビュドスから、ヨーロッパ側のセストスとマデュトスの間にある岬へと架けられた。セストスを押さえる者が、海峡の主要な渡河地点を支配したのである。

Herodotus 4.143; Herodotus 7.33-36

セストス: ミュカレ後の包囲

ミュカレ後の包囲

ヘロドトスによれば、ギリシア艦隊はクセルクセスの橋を壊すためミュカレから出航したが、橋はすでに失われていた。レオテュキデスとペロポネソス勢は帰国したが、クサンティッポス率いるアテナイ人は残ってセストスを包囲した。そこはこの地域で最も堅固な要塞で、ペルシア人が集結し、橋の綱を保管していた場所であった。包囲は秋まで長引き、守備兵はついに寝台の革紐を煮て食べるまでになった。

Herodotus 9.114-118

セストス: アルタユクテスの運命

アルタユクテスの運命

ペルシアの総督はアルタユクテスで、ヘロドトスは彼が近くのエライウスにある英雄プロテシラオスの社を略奪したと非難している。彼ともう一人のペルシア人オイオバゾスは夜陰に乗じて逃れた。ヘロドトスによれば、オイオバゾスはトラキア人に捕らえられて彼らの神への生贄とされ、一方アルタユクテスはアテナイ人に捕らえられ、橋が陸に届いていた地点で板に釘付けにされ、目の前で息子を石打ちにされたという。

Herodotus 9.116-120; Herodotus 7.33

セストス: 塩漬けの魚の前兆

塩漬けの魚の前兆

後世の伝説

ヘロドトスによれば、見張りの者が塩漬けの魚を焼いていると、魚が鍋の中で跳ねてのたうった。アルタユクテスはこれを、死せる英雄プロテシラオスがなお自分を罰しうるという徴だと受け取り、身代金を申し出たが、拒まれた。この話は、冒瀆とその報いをめぐる教訓譚として形づくられている。

Herodotus 9.120

セストス: 戦争の終わりか、帝国の始まりか

戦争の終わりか、帝国の始まりか

係争中

ヘロドトスはセストスの陥落を紀元前479年の秋としているが、トゥキュディデスはアテナイ人がそこで越冬したのちに攻略したと述べており、陥落は紀元前478年の初めであった可能性もある。この出来事の意味についても歴史家の議論は分かれる。ヘロドトスは自らの物語をここで閉じるが、トゥキュディデスはこの包囲戦を、アテナイがギリシア人を率い、エーゲ海に独自の勢力を築いていく時代の始まりとして扱っている。

Thucydides 1.89; Herodotus 9.121

出典

  • Herodotus 9.114-121
  • Herodotus 7.33-36
  • Thucydides 1.89
  • M. A. Flower and J. Marincola, Herodotus: Histories Book IX, 2002
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002