
オイオバゾス
紀元前479年にセストスにいたペルシア人で、橋の綱を守り、トラキアで死んだ人物
オイオバゾスは、プラタイアの戦いの後の秋から冬にかけてギリシア人に包囲されたヘレスポントスのセストスにいたペルシア人である。彼についての主な典拠はヘロドトスで、クセルクセスの橋の綱と、トラキア人のもとでの犠牲獣の供儀に関わる人物として記している。彼は町の統治者ではなく、それはアルタユクテスであった。
ゲームでは: オイオバゾスが登場するのは、セストス攻囲とヘレスポントスの橋にまつわるイベント記事のみで、固有のメカニクスは持たない。ヘロドトスがセストスの総督としているのはアルタユクテスであり、オイオバゾスではない。

セストスの綱
古代の記述ヘロドトスによれば、セストスはヘレスポントスで最も堅固な地であり、ミュカレの後にギリシア艦隊が迫ってきた時、ペルシア人とその同盟者たちはここに集結した。その中には、カルディアから橋の綱をここへ運び込んでいたオイオバゾスもいた。その綱とは、クセルクセスの橋を固定していた太い縄である。
Herodotus 9.115

総督にして側近
古代の記述ヘロドトスによれば、セストスを預かっていたのは、この地方のペルシア人総督アルタユクテスである。オイオバゾスは町に閉じ込められた者の一人として名が挙がるだけで、指揮官としては記されていない。彼を防衛の指導者として描くのは、ヘロドトスの記述を超えている。
Herodotus 9.116

逃亡、そしてトラキアでの死
古代の記述包囲戦で飢えが悪化すると、ヘロドトスによれば、アルタユクテスやオイオバゾスをはじめとするペルシア人たちは、夜陰に乗じて後方の城壁を越え、ひそかに脱出した。オイオバゾスはトラキアにたどり着いたが、アプシントス人に捕らえられ、彼ら独自のやり方で神プレイストロスに生贄として捧げられた。
Herodotus 9.118-119

戦利品としての綱
古代の記述町が陥落すると、アテナイ人は綱を故国へ持ち帰って奉納した、とヘロドトスは伝えている。アルタユクテスは捕らえられ、処刑された。こうして綱は戦争の結末をめぐるギリシア側の物語の一部となり、オイオバゾスはその物語から姿を消す。
Herodotus 9.120-121

一人か、二人か
係争中ヘロドトスはオイオバゾスという人物にも言及している。この人物はスキタイ遠征に際し、3人の息子のうち1人を国に残してほしいとダレイオスに願い出たが、ダレイオスは3人とも殺させることで答えたという。ヘロドトスはこれが同一人物だとは述べておらず、この名は複数の人物のものでありえた。現存するペルシア側の記録にも、この問いに決着をつけるものはない。
Herodotus 4.84
出典
- Herodotus 9.115
- Herodotus 9.118-119
- Herodotus 9.120-121
- Herodotus 4.84
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002