
王の浮彫碑は、ダレイオス1世がバガスターナ(現在のイラン西部ビーソトゥーン)の断崖に刻ませた記念碑で、バビロンからエクバタナへ向かう道を見下ろしている。浮彫には、紀元前522年~紀元前521年に打ち破った反徒たちを踏みしだいて立つ王の姿が刻まれ、その傍らには古代ペルシア語、エラム語、バビロニア語による彼の記録が記されている。これは帝国で最も長い王碑文であり、ダレイオス自身が語る王位獲得の物語である。
ゲームでは: バガスターナのレベルでは、浮彫は道を見下ろす岩壁に一区画ずつ刻まれていく。各区画に石灰岩を、3区画ごとに足場用の木材を要する。本作では紀元前521年としているが、彫刻はおそらく紀元前520年頃に始まり、後に拡張された。

浮彫のパネル
同時代の記録浮彫は崖のおよそ60メートルの高さにあり、他の人物より大きく描かれたダレイオスが、倒れたマゴスのガウマータに足をかけている。彼は円盤の中の有翼の像に向かって片手を挙げ、その背後には弓と槍を持つ二人の従者が立つ。王の前には8人の反乱の王が、両手を縛られ、首を縄でつながれて並んでいる。9人目の人物、尖り帽をかぶったサカ人スクンカは、のちの遠征を経て、列の端へ押し込むように加えられた。
Behistun relief; R. Schmitt, The Bisitun Inscriptions of Darius the Great, 1991


3つの言語と数多くの写し
同時代の記録碑文はおそらくまずエラム語で刻まれ、次にバビロニア語、最後に古代ペルシア語が加えられた。スクンカの像が挿入された際には、最初のエラム語碑文の一部が削り取られ、2つ目のエラム語版が作られた。DB §70でダレイオスは、この碑文を新たな方法、すなわちアーリア語で作り、あらゆる国に送ったと述べており、多くの学者はこれを古代ペルシア文字の創出と解釈している。バビロニア語版の写しはバビロンから断片として、アラム語版はエレファンティネのパピルスとして現存している。
DB §70; J. C. Greenfield and B. Porten, The Bisitun Inscription of Darius the Great: Aramaic Version, 1982

偽者か、真の王子か
係争中ヘロドトスも似た話を伝えており、偽りの王をスメルディスと呼び、7人の謀議者を挙げている。ただしその名の一つアスパティネスは、ダレイオスが挙げたアルドゥマニシュとは異なる。両者の記述は同じ宮廷伝承に遡る可能性があり、僭称者の話を独立して裏づけるものは何もない。ダレイオスが本物のバルディヤを殺し、自らの即位を正当化するためにマギの僧をでっち上げたと考える歴史家もいれば、王の言い分を受け入れる者もいる。この問題は今も決着していない。
Herodotus 3.61-88; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

ギリシアの伝説に語られる女王の記念碑
後世の伝説ギリシアの著述家の中には、この浮彫をダレイオス以外の人物の作とする者もいた。ディオドロスが引用するクテシアスによれば、アッシリアの女王セミラミスがバギスタノンに庭園を造り、崖に自らの像をシリア文字の銘文とともに刻ませたという。この話はセミラミスにまつわる伝説の一つであり、随所にダレイオスの名を記す実際の記念碑とは何の関係もない。
Diodorus 2.13
出典
- Behistun inscription, DB (Old Persian, Elamite and Babylonian versions)
- R. Schmitt, The Bisitun Inscriptions of Darius the Great: Old Persian Text, 1991
- A. Kuhrt, The Persian Empire: A Corpus of Sources from the Achaemenid Period, 2007
- Herodotus 3.61-88
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- Diodorus 2.13