
宮殿浴場
アケメネス朝宮殿の洗い場と排水路、ペルセポリス、紀元前518〜465年頃
ペルシア王の宮殿には排水路が造られ、水を注いで流し去ることのできる、舗装または漆喰塗りの部屋があった。発掘により、ペルセポリスの基壇の下に周到な水路網があったことがわかっている。どの部屋が洗い清めに使われたのかは今も議論が続いており、当時の文書で浴場の名を挙げたものは知られていない。
ゲームでは: 本作の宮殿浴場は、9マス以内の長老の家と貴族の邸宅が利用する施設である。これは簡略化であり、宮殿の洗い場は王の建物に属するもので、複数の世帯が共用する浴場があったことを示すものはない。

ペルセポリスの基壇下の排水路
同時代の記録ペルセポリスの発掘者たちは、基壇の下に、岩盤を穿って造られた水路や石で築かれた水路からなる水路網を発見した。この仕組みはおそらく、上に宮殿が建てられる前に設計されたものである。水路は屋根や中庭、一部の部屋から雨水と汚水を集め、基壇の外へと流し出した。パサルガダエでは王の庭園を石造りの水路が貫いており、同じく水を扱う高い技術を示している。
E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953; D. Stronach, Pasargadae, 1978

どの部屋が洗い場だったか
係争中宮殿のいくつかの小部屋には、舗装または漆喰塗りの床があり、排水口が排水路へと通じている。発掘者はその一部を浴室や便所と解釈した。一方、単に排水を必要とした作業室や貯蔵室だったと考える学者もいる。当時の碑文や粘土板で部屋を浴室と記したものは知られておらず、いずれの同定も床と配管のみに基づいている。
E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953

流れる水への敬意
古代の記述ヘロドトスによれば、ペルシア人は川に小便をしたり唾を吐いたりせず、川で手を洗うこともなかった。はるか後代に著述したストラボンも、ペルシア人の水への畏敬について記している。ギリシアの著述家たちの言うとおりなら、手や体を洗うときはおそらく流れの中ではなく、鉢に汲んだ水を使い、その後で捨てたのだろう。もっとも、彼らは伝聞でしか知らない慣習を単純化して伝えたのかもしれない。
Herodotus 1.138; Strabo 15.3

ダレイオス3世の浴場
後世の伝説プルタルコスによれば、アレクサンドロスは紀元前333年のイッソスの戦いの後、鹵獲したダレイオス3世の天幕に入った。そこで金の器や水盤、香料を備えた浴場を見つけ、王であるとはどうやらこういうことらしい、と言ったという。この話が書き留められたのは4世紀以上も後のことである。ペルシアの奢侈をめぐる教訓話として形作られており、ダレイオス1世の時代の宮殿の浴室についてはほとんど何も語っていない。
Plutarch, Alexander 20
出典
- E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953
- Herodotus 1.138
- D. Stronach, Pasargadae, 1978
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- Strabo 15.3
- Plutarch, Alexander 20