
アルタヴァルディヤは、ダレイオスがペルシスの反徒ヴァフヤズダータの討伐に差し向けたペルシア人の指揮官である。ベヒストゥン碑文にその名が見え、ダレイオスは、彼の率いる軍が二度の戦いで反徒を破ったと記している。ヘロドトスは彼に言及しておらず、この時期を扱った現存のギリシア側の記録にも、彼の名は見当たらない。
ゲームでは: 本作でアルタヴァルディヤの名が挙がるのは、年代記の項目と、百科事典のヴァフヤズダータの反乱に関する記事だけである。いずれのレベルにも人物や場所として登場せず、固有のメカニクスも持たない。

ベヒストゥンにおけるダレイオスの将軍
同時代の記録ベヒストゥン碑文の中で、ダレイオスはアルタヴァルディヤを「ペルシア人であり自分の臣下」と呼び、ペルシア軍を率いてヴァフヤズダータに差し向けたと述べている。碑文は彼に称号を与えず、家系についても何も語らない。同時代の史料で彼の名を挙げているのは、この碑文だけである。
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ラハとパルガ山
同時代の記録ダレイオスは、アルタヴァルディヤの軍がヴァフヤズダータの軍勢を破った2度の戦いを記録している。1度目はラハという地で、2度目はパルガ山であった。その後、ヴァフヤズダータは主立った従者たちとともに捕らえられ、ペルシスのウヴァダイチャヤで串刺しにされた。ダレイオスはこれらの勝利をアフラマズダのおかげとしており、戦いの様子については何も述べていない。
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彼が戦った反徒
同時代の記録ヴァフヤズダータは、キュロスの子バルディヤを名乗ったペルシア人である。ただしダレイオスによれば、バルディヤはそれ以前に殺されていた。ダレイオスは彼を、ペルシスの人々を欺いた偽り者として描いている。ダレイオスは彼に対してアルタヴァルディヤを差し向けたと述べており、ダレイオス自身が出向いたことを示す記述は本文にない。
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ギリシア人著述家たちの沈黙
古代の記述ヘロドトスは偽スメルディスとダレイオスの王位簒奪については詳しく語っているが、ペルシスに現れた二人目の偽王については語っておらず、したがってアルタヴァルディヤにも触れていない。この時期についての彼の記述は、七人の謀反者の物語によって形作られている。それゆえ、この戦役についてはベヒストゥンが主たる史料となる。
Herodotus 3.61-88

ダレイオスはどこまで信用できるか
係争中ベヒストゥン碑文はダレイオス自身による記録で、自らの統治を正当化するために書かれており、すべての反徒を王に逆らった偽り者として描いている。歴史家は反乱が実際にあったことは認めているが、戦いや日付の細部については慎重に扱う。ペルシス本土での反乱はダレイオスにとって危険だったはずだが、それは現代の判断にすぎず、ダレイオスの語る以上のアルタヴァルディヤの役割は確かめようがない。
P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
出典
- DB
- Herodotus 3.61-88
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- A. Kuhrt, The Persian Empire, 2007