
紀元前525年にカンビュセスが侵攻したとき、エジプトの兵士たちは第26王朝(サイス朝)の王国を守った。ギリシアの著述家がマキモイと呼んだ土着の戦士たちが、ギリシア人やカリア人の傭兵と肩を並べて戦った。ペルシオンでの敗北とメンフィスの陥落の後、エジプトはペルシアのサトラップ領となり、エジプト人はやがて王の守備隊や艦隊に仕えるようになった。
ゲームでは: メンフィスでは、彼らは背の高い革の盾を構えた弓兵、射手、槍兵、徴集兵として登場し、隊長と「プサムテクの勇士」を伴う。このようなプサムテクの勇士は史料には知られていない。

ナイルの戦士階級
係争中ヘロドトスによれば、エジプトの戦士は世襲の階級をなし、ヘルモテュビエスとカラシリエスの二つの部門に分かれていた。各人は免税の土地を与えられ、他の生業に就くことを禁じられていた。彼が挙げる160,000人と250,000人という総数は、一般に誇張が甚だしいとされる。この階級がどれほど閉鎖的だったかは今も議論があり、その中核を数世紀前にデルタに定住したリビア人兵士に見る研究者も多い。
Herodotus 2.164-168; A. B. Lloyd, Herodotus Book II, 1975-1988

ペルシオンとメンフィス陥落
古代の記述ヘロドトスによれば、治世わずか6か月であったというプサムテク3世は、ナイル川のペルシオン河口でカンビュセスを迎え撃った。彼のギリシア人・カリア人傭兵は、ペルシア側に寝返った傭兵隊長ファネスの息子たちを殺害した。激戦の末、エジプト軍はメンフィスへ敗走し、ペルシアの使者とその船の乗員を殺したが、包囲の末に降伏した。ヘロドトスはどちらの軍の兵数も記していない。
Herodotus 3.10-13

ペルシア支配下のエジプト人士官
同時代の記録ウジャホルレスネトの像の銘には、彼がアマシスとプサムテク3世のもとで王の軍船を指揮し、その後カンビュセスとダレイオスに仕えたことが記されている。銘はこの地を襲った大きな混乱、おそらくは征服に触れているが、戦闘については何も述べていない。主に紀元前5世紀のものであるエレファンティネのアラム語パピルスは、南方国境の守備隊がペルシアの支配下でもなお維持され、その一部をユダヤ人やアラム人の兵士が担っていたことを示している。
Statue of Udjahorresnet (Vatican); Elephantine papyri

クセルクセスの戦争におけるエジプト人
古代の記述ヘロドトスによれば、エジプトはダレイオスの治世末期に反乱を起こし、クセルクセスによって再征服された。その後エジプトは200隻の艦船をギリシアに差し向け、兵たちは編み細工の兜、広い縁の盾、移乗戦用の槍、大斧、長い刃物で武装していたという。ヘロドトスは彼らをアルテミシオンにおける王の軍勢の中で最も優れていたと評し、エジプト海兵が陸に揚げられ、プラタイアで徒歩で戦ったとも記している。
Herodotus 7.1; 7.7; 7.89; 8.17; 9.32

ペルシオンの聖獣
後世の伝説7世紀ほど後に著述したポリュアイノスは、カンビュセスが犬、羊、猫、トキを軍の前面に並べ、エジプト人が自分たちの聖なる動物を傷つけることを恐れて矢を射られないようにしたと伝えている。これより古い著述家にこの話は見られず、歴史というより策略の逸話として読むべきものである。
Polyaenus, Stratagems 7.9
出典
- Herodotus, Histories, books 2, 3, 7-9
- Statue of Udjahorresnet (G. Posener, La première domination perse en Égypte, 1936)
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- A. B. Lloyd, Herodotus Book II: Commentary, 1975-1988
- Polyaenus, Stratagems 7.9