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スキタイの戦士

スキタイの戦士

ダレイオスの軍と対峙したポントス草原の遊牧騎馬民、紀元前513年頃

ゲームでは: レベル6:舟橋

スキタイ人は黒海北方の草原に暮らすイラン系の言語を話す遊牧民で、騎馬弓兵として名高かった。紀元前513年頃、ダレイオスがイストロスを渡って彼らの地に侵入すると、彼らは会戦を避けて退き、王の軍勢を消耗させ、ついには橋まで撤退させた。彼らのこの成功は、王権の限界を示す教訓として、ギリシア人の間で長く語り継がれた。

ゲームでは: 「イストロス」では、スキタイ人は弓兵、騎射兵、槍兵、族長、勇士として登場する。ゲームではペルシア騎兵がスキタイの騎手を蹴散らすが、ヘロドトス(4.128)によれば、スキタイの騎兵がペルシアの騎兵を敗走させたという。

スキタイの戦士: 草原の騎手たちの墓

草原の騎手たちの墓

同時代の記録

黒海北岸やクバン地方の墳丘墓(クルガン)、たとえば紀元前7世紀のケレルメスやメルグノフ古墳には、騎馬戦士の装備が納められている。出土品には、弓と矢筒を一体にした容器に収めた合成弓、三翼の青銅鏃、短剣、戦斧、槍、小札鎧などがある。馬はしばしば主人とともに葬られ、動物意匠の金細工も副葬された。

R. Rolle, The World of the Scythians, 1989

スキタイの戦士: 町を持たぬ民

町を持たぬ民

ヘロドトスによれば、スキタイ人には町も城壁もなく、荷車に暮らし、騎馬の弓兵として戦ったため、いかなる侵略者も彼らを捕らえられなかった。また戦士が敵の首や頭皮を戦利品とし、髑髏から酒杯を作ったことも描いている。彼の長大なスキタイ誌は旅人の報告とギリシア人の思い込みが入り混じっており、注意して読む必要がある。

Herodotus 4.46; 4.64-65

スキタイの戦士: イストロスの彼方でダレイオスに抗して

イストロスの彼方でダレイオスに抗して

ヘロドトスによれば、イダンテュルソスを筆頭とする三人の王に率いられたスキタイ人は会戦を拒み、ペルシア軍に先んじて退きながら井戸や泉を埋めていった。スキタイの騎兵はペルシア騎兵を繰り返し打ち破り、ペルシア騎兵は歩兵のもとへ逃げ帰った。一方、ペルシア軍の驢馬や騾馬のいななきはスキタイの馬を怯えさせた。ダレイオスはついに病兵を置き去りにして夜陰に紛れて退き、イオニア人が守り抜いた橋にたどり着いた。

Herodotus 4.120-129; 4.134-141

スキタイの戦士: ダレイオスはどこまで、なぜ進んだのか

ダレイオスはどこまで、なぜ進んだのか

係争中

ヘロドトスはダレイオスの兵力を700,000人とし、オアロス川まで進軍したとしているが、いずれも誇張として広く疑われている。後代の要約を通じて知られるクテシアスは、さらに大きな軍勢と、慌ただしい撤退に終わった短い遠征を伝えている。この遠征が失敗に終わった征服戦争だったのか、限定的な示威行動だったのかは、今も歴史家の間で議論されている。ダレイオス自身の民族一覧には「海の向こうのサカ」が含まれており、彼がヨーロッパで何らかの成果を主張していた可能性がある。

Herodotus 4.87; 4.124; Ctesias, Persica; DNa; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

スキタイの戦士: 贈り物の謎

贈り物の謎

後世の伝説

ヘロドトスによれば、スキタイ人はダレイオスに鳥、鼠、蛙、そして5本の矢を送った。ダレイオスはこれを降伏の印と解したが、ゴブリュアスは脅しだと説いた。すなわち、ペルシア人が空を飛ぶか、地中に隠れるか、沼に跳び込むかできなければ、この矢に射殺されるだろう、という意味である。この話は王の驕りを戒める教訓譚として仕立てられており、記録として受け取るべきではない。

Herodotus 4.131-132

出典

  • Herodotus, Histories, Book 4
  • R. Rolle, The World of the Scythians, 1989
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
  • A. Kuhrt, The Persian Empire: A Corpus of Sources, 2007
  • DNa
  • Ctesias, Persica