
ペルシア人は壁に囲まれ灌漑された庭園をおそらくパリダイダと呼んでいた。これはエラム語とバビロニア語の語形から再構された語である。ギリシア人はこれをパラデイソスとして借用し、それが「パラダイス」という語の起源となった。王やサトラップや貴族たちは、並木と石で縁取った水路を備えたこうした庭園を造営した。水の行き渡った庭園は、その持ち主が土地と水と労働力を意のままにできることを示していた。
ゲームでは: ゲームでは整形庭園は木陰と石の水路からなるサービス施設で、貴族の邸宅は10マス以内にこれを必要とします。実際のペルシアの庭園は塀で囲まれた王侯や貴族の所領であり、この条件は簡略化です。

パサルガダエの水路
同時代の記録1960年代のパサルガダエの発掘で、キュロスの治世に造られた王の庭園から、宮殿Pと2つの小さな亭のあいだを走る石灰岩の水路が発見された。水路はまっすぐに延び、一定の間隔で小さな方形の水盤につながっていた。水路のあいだには植え込みの区画があり、宮殿Pの玉座の柱廊からは庭全体を見渡すことができた。
D. Stronach, Pasargadae, 1978

城砦文書に見える庭園
同時代の記録紀元前509年頃から493年にかけて書かれたペルセポリスのエラム語行政文書は、ペルシア語から借用した「パルテタシュ」という語を用いている。文書は、ペルシス各地にこうした園地があり、そこに労働者が割り当てられ、産物や苗木が出入りしていたことを記録している。庭園は単なる遊楽の場ではなく、王の経済を支える実働の一部であったことがわかる。
Persepolis Fortification tablets; C. Tuplin, Achaemenid Studies, 1996

ペルシアの庭園を訪れたギリシア人
古代の記述クセノフォンによれば、ペルシアの王子小キュロスは紀元前5世紀末、サルディスで自らのパラデイソスをスパルタのリュサンドロスに見せた。そこには木々がまっすぐな列をなして植えられており、キュロスは自分でも何本か植えたと語ったという。ヘロドトスによれば、紀元前481年にサルディスへ向けて進軍していたクセルクセスは、リュディアで見事なスズカケノキを見つけ、これを金で飾り、番人を置いて守らせた。両者とも、木の手入れをペルシアの支配者が重んじたものとして描いている。
Xenophon, Oeconomicus 4.20-25; Herodotus 7.31

四分割の配置か否か
係争中発掘者ストロナックは後に、パサルガダエの水路が四つの区画を縁取っており、ここが知られる限り最古の四分庭園であり、後のペルシアのチャハール・バーグの祖先であると論じた。一方で配置の一部しか残っていないと指摘する者もおり、2000年頃以降の遺跡の地球物理探査はそれほど整然としない配置を示している。四分割の配置がここに始まったかどうかは、今も議論が続いている。
D. Stronach, Pasargadae, 1978; P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

ダレイオスのガダタス宛書簡
係争中あるギリシア語碑文には、ダレイオスが臣下ガダタスに宛てた書簡が記されており、ユーフラテスの彼方の樹木を小アジア西部に植えたことを称えている。石そのものは数世紀後のローマ時代に刻まれた。これが本物の王の書簡を写したものか、後世の創作かについて、歴史家の見解は分かれている。
Letter of Darius to Gadatas (Meiggs-Lewis 12); P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
出典
- D. Stronach, Pasargadae, 1978
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
- C. Tuplin, Achaemenid Studies, 1996
- Xenophon, Oeconomicus 4.20-25
- Herodotus 7.31
- Letter of Darius to Gadatas (Meiggs-Lewis 12)