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サカ弓兵

サカ弓兵

アケメネス朝軍に属した中央アジアのサカ諸族の射手(紀元前520年頃~479年)

ゲームでは: レベル1:建国者の墓

サカ人は中央アジアの草原と山岳地帯に住むイラン系の言語を話す諸民族であった。おそらくキュロスによって初めてペルシアの支配下に入り、ダレイオスはそのうちの一集団に対して遠征を行った。ペルシアの碑文は彼らを王の諸邦の一つに数え、ヘロドトスはマラトンとプラタイアにおいてサカ人部隊を王の軍勢の中でも屈指の精鋭に位置づけている。

ゲームでは: 本作ではサカ弓兵を槍兵の後方に配し、ペルシア弓兵より射程はやや短いものの、射撃が速く打たれ強い部隊としている。こうした比較を裏づける古代史料はなく、また多くのサカ人は騎馬で戦った。

サカ弓兵: 王の碑文に見るサカ人

王の碑文に見るサカ人

同時代の記録

ダレイオスは治世の初めに自らに服した国々の中にサカを挙げている。ナクシェ・ロスタムの彼の墓碑銘は、ハウマを飲むサカ、尖り帽のサカ、海の彼方のサカという別々の集団を名指ししている。ベヒストゥン碑文の第5欄は、おそらく紀元前519年頃の尖り帽のサカに対する遠征と、その首長スクンカの捕縛を記録しており、高い帽子をかぶった彼の姿が浮彫に付け加えられた。

DB §6; DB §74; DNa §3

サカ弓兵: 帽子、弓、斧

帽子、弓、斧

ヘロドトスは、紀元前480年のクセルクセス軍に加わったサカ人が、先の尖った硬く高い帽子をかぶり、ズボンを穿いていたと記している。彼らは自分たちの土地の弓と短剣、そしてサガリスと呼ばれる戦斧を携えていたという。さらにヘロドトスは、ペルシア人はスキタイ人をすべてサカと呼んでいたこと、そしてサカ人はダレイオスとアトッサの子ヒュスタスペスの指揮のもと、バクトリア人とともに進軍したことを付け加えている。

Herodotus 7.64

サカ弓兵: ギリシアとの戦争におけるサカ兵

ギリシアとの戦争におけるサカ兵

ヘロドトスによれば、紀元前490年のマラトンではペルシア人とサカ人が中央を受け持ち、そこでアテナイの戦列を突き破ったが、やがてギリシア軍の両翼に包み込まれた。彼はサカの戦士が王の艦船で海兵として仕えたことを伝え、マルドニオスがギリシアに残す兵の中にサカ人を選んだとも記す。紀元前479年のプラタイアについては、サカ人を王の側で最良の騎兵と評している。

Herodotus 6.113; 7.184; 8.113; 9.71

サカ弓兵: 歩兵か騎兵か、そして彼らの住んだ地

歩兵か騎兵か、そして彼らの住んだ地

係争中

ヘロドトスはサカ人をクセルクセスの歩兵の中に挙げながら、後にはサカの騎兵についても記しており、草原の民は一般に騎馬弓兵と考えられている。歴史家の間では、どれほどのサカ人が徒歩で戦ったのか、またペルシアに仕えた者たちが故郷から来たのか、帝国内の他所の入植地から来たのかが議論されている。名の挙がる各サカ集団の故地がシル川からパミール、あるいはその先のどこにあったのかも、論争の的となっている。

P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

サカ弓兵: 王家の記念碑に見えるサカ人

王家の記念碑に見えるサカ人

同時代の記録

ペルセポリスのアパダナの浮彫には、尖り帽子をかぶったサカの使節団が王に贈り物を献じる姿が描かれている。ナクシェ・ロスタムの王墓では、従属諸民族の姿をした者たちが王の玉座を支えている。ダレイオスの墓では、担ぎ手それぞれに短い銘が添えられて名が記されており、その中には独特の装いで表された3つのサカ集団も含まれる。

E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953; E. F. Schmidt, Persepolis III, 1970; DNe

出典

  • Herodotus, Histories 6.113, 7.64, 7.184, 8.113, 9.71
  • Darius, Behistun inscription (DB) §6, §74
  • Darius, Naqsh-e Rostam inscriptions (DNa, DNe)
  • A. Kuhrt, The Persian Empire: A Corpus of Sources from the Achaemenid Period, 2007
  • P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002
  • E. F. Schmidt, Persepolis I, 1953, and Persepolis III, 1970