
野生のカモ
帝国の河川・湿地・沼沢の水鳥、紀元前559〜479年
ゲームでは: レベル1:建国者の墓、レベル3:偽り、レベル4:基壇、レベル5:勅許状、レベル6:舟橋、レベル7:サルディス炎上、レベル8:マラトン湾、レベル9:運河、レベル10:熱き門、レベル11:終幕
野生のカモは、ペルシアの王たちが支配した地の川や湖、湿地にすんでいた。当時の古代の著述家はカモについてほとんど何も語らず、カモ狩りを記したアケメネス朝の文書も知られていない。言えることは、自然環境と、いくつかの間接的な手がかりに基づいている。
ゲームでは: ゲームでは野ガモを、パサルガダエからプラタイアまでの10の面の、町が手を付けていない土地に背景として描き、近くの水辺からカモの鳴き声が聞こえるようにしている。ルールには一切関わらない。

史料が語らないこと
古代の記述この時代の古代史料で、帝国のいずれの地域についても水鳥を挙げたものはない。したがって、どの種がどれほどいたかは、現代の鳥類学と湿地の地理から推定される。エジプト、メソポタミア、アナトリア、ギリシアの河川、湖岸、沼沢はいずれも生息地となりえたが、これは推定であって記録ではない。
P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002

エジプトで食用とされたカモ
古代の記述ヘロドトスによれば、エジプト人は一部の鳥を塩漬けにして生のまま食べ、鶉や鴨を小鳥とともに挙げている。彼はペルシアによる征服から数十年後に書いており、エジプトで見聞きしたことを伝えている。彼の言葉は、当時のエジプトで鴨が食べられていたことを示すにとどまる。ペルシアの習慣を述べたものではない。
Herodotus 2.77

エジプト美術における鳥猟
同時代の記録エジプトの墓の壁画や浮彫は、大半がペルシア人の到来より何世紀も前のもので、投げ棒や網による湿地での鳥獲りを示している。それらは、カンビュセスが征服した国エジプトで、水鳥が古くから食料であり遊猟の対象でもあったことを示す。これはペルシアの証拠ではなく、エジプトの証拠である。
Excavated tomb scenes of Egypt, cited generally

園と獲物
古代の記述クセノフォンは、小キュロスがケライナイに設けた、野生動物を飼う壁で囲われた園について記し、これにギリシア語のパラデイソスという語を当てている。彼が挙げる動物は哺乳類であり、そうした園で鴨が狩られたと述べる史料はない。王が鴨を射る場面を描くなら、それは推測にすぎない。
Xenophon, Anabasis 1.2.7
出典
- Herodotus 2.77
- Xenophon, Anabasis 1.2.7
- P. Briant, From Cyrus to Alexander, 2002